<今日の様子>

今朝は15℃と少し寒い朝でした。運転しているとしばらくしたら熱い風が出てきて、今年初めて暖房になりました。10月に入りました。こちらでは日中も寒くなり、やはり10月だなと言う感じになりだしました。お彼岸が過ぎたら、急に日が沈むのが早くなり、夜が長くなるのを感じはじめました。月日の経つのも早いもので、もう今年は何をしたんだろうと思うようになりました。先日の新聞に、兵庫県で大腸ガンの検査の受診率が一番悪い市町村は、姫路市だと載っていました。便をとるだけなので、苦痛もないのにと思うけれど、姫路みたい大きな病院がたくさんあったら、安心してしまうのかなと思いました。私は大腸ガンの検査は受けていたんですが、胃カメラも毎年受けているのでと思い、大腸ファイバーを一度お願いしますとお願いした所、一度受けておいた方がいいと言うことで、してもらったら、ポリープが見つかり、2年に一度ファイバーを受けるようになったんですが、今年春受けたら、腫瘍が見つかり、ファイバーでは良性か、悪性かわからないということで、手術して取らなければわからないということで、姫路の病院で取ってもらいましたが、初めての手術で大変緊張しましたが、腹腔鏡手術で出来、恐くってしょうがなかったですが、大変簡単に終わり、自分でもびっくりしました。元気で入院して、元気で退院してきました。それからして長いこと会わなかった友達にも会ったり、電話したりして聞くと、このへんの人ってわからなかっただけで、姫路の病院で手術している人が多く、驚きました。またそれもみんな違った病院で手術を受けていて、姫路に大きな病院がたくさんあるのにも驚きました。これも高速道路のお陰です。姫路まで1時間ちょっとでつき、けっして批判するわけではありませんが、あるときの診察なんか、こちらのある病院だったらうちからの移動時間も入れての話ですが、受付も終えて、診察を待っている間に、姫路の病院なら診察をして終わっていたなんて感じる時もありました。会計でも看護婦さんと打ち合わせしている間に出来ており、支払機の所に行くだけで簡単に支払も出来、都会と田舎の差を感じました。
来週は雨の日が多く、火曜日が25℃越える日があるようで、後は25℃を前後の日が続くようです。でも例年なら、衣替えで上着を着ているんですからね。やはりまだ暑いようです。



(10月 2日掲載)









ギンモクセイ
今日、久しぶりに散歩のコースを変えたら、ギンモクセイのある所をまだ通っていないのに、すごいいい匂いがして、この暑いのに、ギンモクセイが咲いているということがわかりました。私は香りが強いので、あまり好きではありませんが、でもこの香りをかぐと、秋が来たんだなという気になりました。私はギンモクセイが咲くと、松茸はという思うんですが、こちらではまだまだのようで、まだ市場にも入荷していません。昨年はたくさん採れましたが、今年はどうなんでしょうか。紅ガニは大きな物が入荷し始め、安くって皆様に喜んでいただいていますが、赤イカがぜんぜん獲れなくって、赤イカは冷凍したら、甘味を増し、刺し身にしたら大変美味しくって、毎年1年分を冷凍しておくんですが、来年どうするんだと思います。鯛はそうでもないんですが、カンパチやハマチ、ブリなどが海水温が高くって、養殖しにくくなっているらしく、大変高くなっていて、料理が入ってくるたび、儲かっているんだろうかという気分になります。今こちらでは夏採れなかったスルメイカがたくさん採れ、大変安くなっています。またここ数日白イカがたくさん獲れ、大変お安くなっています。盆の一番欲しいときにはぜんぜん獲れず、これも気候変動のせいでしょうか。なんかちぐはぐとしています。
(10月 2日掲載)


















新興
今年は少し早いんですが、新興が入荷し始めています。この梨は、保存がきき、こたつに入る頃までおいしく食べられる梨として有名な梨です。20世紀に比べたらとても大きくって、どちらもおいしい梨です。私もこの梨を知ったのは、豊岡に仕入れに行きだしてから知りました。香住の同業者の方が、才木さん20世紀梨はたくさん買われるのに、新興は買われないんですかと聞かれ、たまたま大阪のお客様から、新興梨ってないですかと聞かれており、買ってきたところ、徐々に皆様に知られ、このへんでも売れ出し、食べたら、大変甘くっておいしい梨です。今では20世紀梨よりおいしいというお客様もおられます。今年もたくさん20世紀梨を送らせていただきました。今年は大きなサイズは高かったですが、大きい方が甘くっておいしいですから、3L以上の大きなサイズを送らせていただきました。おいしかったと思います。私の朝食には、今はフルーツは20世紀梨とピオーネです。
(10月 2日掲載)



















氷ノ山

氷ノ山は今週も曇りの日が多く、今週もまだ夏の青空のような感じもしますが、とにかくPM2.5が多く、かすんでしまっています。国慶節で中国が連休で日本が人気だという話ですが、私はちょっと安心しました。今中国では、「731」という映画が公開されているようですが、この映画公開されたら今の情勢では反日が増えるんではないかと心配したんですが、なんかホットしました。「731部隊」今ではご存じの方が少しはおられますが、私の学生時代はほとんど知られていませんでした。私は知ったのは、学生時代で、たまたま、私のゼミの先生が、戦争の時、京大の法学部が政府の圧力を受けた(一般には滝川事件といわれています)、法学部で教授をされていて、それで知りました。先生の研究室に呼ばれたとき、先生に滝川事件のことや当時の京大法学部の様子が知りたくてお聞きしたところ、これは一般にはあまり知られていないけれど731部隊という部隊があり、国際法上問題の多い部隊であったと言うことを知りました。先生の自慢はヒトラーに最初にお目にかかった日本人だと自慢していました。731部隊のことを調べると日本人の医者が戦争中だといえ、外国人に人体実験をしていたなんて、戦争なんてなんて残酷なんだと言うことを改めて知りました。京大の医学部出身者の医者を中心に中国のハルピンで行われていたようですが、そこで出来た爆弾は、ベトナム戦争で使われた、枯れ葉爆弾だそうで、人体にも影響がでて、2人の双子が、体はくついて生まれたということで話題になりました。私の義理の父が、ハルピンにある中野学校を出たらしく、母が亡くなったとき、たまたま日本の医療のことが話題になり、私が731部隊のこと話したら、なんで知っているんだとびっくりして、中野学校と731部隊は地下でつながっていたと話してくれ、本当に一部の人だけにしか知られていないことが、身近にいたとびっくりしました。でも父はソ連軍に捕まり、厳寒のシベリアで抑留生活を送り帰還したようですが、抑留中問題が起こり、責任を取らされ、処刑されそうになったことが3回ほどあり、大変苦労したようです。中野学校にいたということで、早く釈放されたようです。自分がスパイだったということを母が亡くなるまで母との約束だったので誰にも話さずいたようです。父は晩年は長生きして97才まで平和に暮らしました。うそか本当かわかりませんが、731のデーターをアメリカに渡し、責任を逃れし、保身のために日本を売った右翼だと言われた、亡くなっていても今でもいろいろな問題で出てくる有名な政治屋や医者たちもいたようです。でも石破さん、国連の演説、パレスチナを承認しなかったのは残念ですが、今総裁選挙に立候補されている人達の演説よりも、ぜんぜんよかったですね。1940年出石出身の斉藤孝夫さんの国会での反軍演説が2/3も削除された会議録を復元するようにするという話を聞いたり、森友事件の公文書開示など今までの自民党では出来ないことされているのになんであんな人をやめさせるんだと思います。軍事が専門だと思っていたので、意外と平和主義者だったんだなと思いました。
(10月 2日掲載)